2025-08-12

終末の「7年—7年モデル」

 

近ごろ、ヤコブ(イスラエル)の生涯、とりわけその年齢が携挙の年を示す手がかりになり、しかもその年が2025年だと主張する論が目につく(代表例として YouTube の “God A Minute” など)。この点について私見を述べる。

ヤコブが77歳のときに苦難が始まり、その7年後にレアとラケルを娶るので、イスラエル国家の建国後77年目(西暦2025年)に7年の大患難が始まり、ヤコブの84歳に対応する2032年にメシア/キリストが再臨する――ゆえに携挙は大患難直前の2025年に起こる、という主張である。

創造紀元や聖書に記された古代事件の年次を、現代の暦で完全精密に求めることは不可能である。ゆえに、ヤコブの生涯と年齢をイスラエル国家へ投影して時の手がかりを探る試みは、預言された時期を推量するうえで十分意味があり得る。もしこのマッピングが有効であれば、預言の絶対時期を見積もるほとんど唯一のアプローチになり得る。

反キリストの支配下にあたる7年の患難、すなわちダニエルの「最後の一週」は、旧新約全体を通して「主の日」と呼ばれているが、特にエレミヤは、この「主の日」に当たる7年を「ヤコブの苦難の時」と名づけ、その日がイスラエルの患難の時であることを強調している(エレ30:7)。

実際、ヤコブが兄エサウを避けてラバンの許へ逃れたのは、彼が77歳のときである。聖書に「77歳」と明示はないが、関連箇所をたどればその年齢に計算される。さらに『ヤシャル書』(ヨシュ10:13参照)には、当時のヤコブが77歳であったこと、ハラン居住2年目に79歳であったことが明記されており、当該期間の年齢そのものには明白な問題がない。

“…and Jacob was seventy-seven years old when he went out from the land of Canaan from Beersheba.” (29:30, The Book of Jasher)
“And in the second year of Jacob's dwelling in Haran, that is in the seventy ninth year of the life of Jacob...” (30:15)

ヤコブの何歳のときに何が起こり、その後何年をどう過ごしたかという叙述に従って積算していくと、彼の誕生月日によっては後段の計算結果――すなわち誤差幅が数年に及ぶ可能性もある。しかし創世記における年齢記述は重なり合いを織り込んだ年代記的意図を含む、という見解が通説であり、聖書に基づく計算と『ヤシャル書』の明示とが一致することからも、その年代記的意図説は妥当とわかる。

ところが、物語をよく見ると事はそれほど単純ではない。ヤコブ77歳=建国77年=大患難開始、84歳=建国84年=患難終結=メシア再臨――といった解釈は、性急で危うい読みである。

ヤコブが77歳のとき、人為的な欺きによって長子の祝福を奪い、エサウから逃れてから、ラバンのもとを離れて故郷へ帰るまでの総期間は、7年ではなく20年であり、その間にあらゆる苦難と試練を経験している。では、その20年の歳月のうち、なぜ77歳から84歳までの7年だけを、エレミヤが指し示した「ヤコブの苦難の時」7年として特定できるというのだろうか。

彼の異郷暮らし二十余年の中で、明確に「7年」が浮かぶのは婚姻をめぐる7年である。とはいえそれも単発の7年ではなく、二度繰り返される計14年で描かれる。では、この二つの7年のどちらが、エレミヤ30章7節の「ヤコブの苦難」、すなわち「主の日」を指すのか。

ヤコブが7年の労苦の末に妻たちを得、彼の婚姻をメシアとの婚姻の型と見るところまでは問題ない。しかし、彼が得た妻は二人であり、妻を得るために仕えた契約期間は14年である。この事実を看過してもよいのか。物語に記録された一連の出来事から、予表的要素をより正確に読み解かない単純な読みは、大きな危険を孕む(この危険性は後述する)。

 

ヤコブの「7年+7年」

ヤコブは、容姿の美しいラケルに心を懸け、「七年間を数日のように思って」奉仕した。(創29:20)ほんの数日にすぎないと感じられるほど甘く、希望に満ちたこの期間を、はたして極悪非道な「ヤコブの七年の大患難」と呼べるだろうか。しかも何より、ヤコブが慕い求めた相手は、預言的に正確には誰の型なのであろうか。この点については、より慎重な考察が求められる。

ヤコブが慕い渇望したラケルは、イスラエルが「自分たちの目の欲望」に従って慕い求めるメシアの型である。

この点を念頭に物語を読むと、次のような預言的メッセージが見えてくる。慕う女(ラケル)のために7年懸命に働いた結果、彼が与えられたのは偽(レア)であった。すなわち、イスラエルに偽メシア=反キリストが与えられるということである。

ヤコブは、自分が欺かれたことに気づいてラバンに抗議する。しかし結局、「本物(メシア)」のために、次第に自分にとって不利となっていく状況から逃れられず、そこに足止めされる形で、さらに七年間仕えるほかない立場に追い込まれていく。

偽を押し付ける罠を仕掛けたのはラバンであり、彼は、偽メシアをイスラエルにメシアとして受け入れさせるサタンの型といえる。

現実にはレアとラケルは時間的にほぼ同時期(7日差)にヤコブに与えられる。しかし内容をよく見ると、ヤコブは「本物(ラケル)」を得るために、偽物との「7日間の婚宴」を満了しなければならず、そのために「さらに7年」仕えて苦労するというラバンの条件に絡め取られる。

では、ここで「7日」と「7年」はそれぞれ何を示唆しているのか。古代ユダヤの婚礼慣習において七日間の婚宴が携挙の型となっていることを思い起こすなら、偽物との「七日間の婚宴」が何を意味するかも明らかになる。父の家、すなわち天では、キリストと教会が七日間の婚宴に入り、地上では偽キリストとイスラエルも七日間の婚宴に入る。そこもまた「父の家」と言えるだろう。反キリストの父はサタンであり、サタンは地に投げ落とされた状態にあるからだ。(黙12:9)この対照は劇的で、しかも明瞭だ。

すなわち、ヤコブの七日の婚宴は偽メシアと共に過ごす七年の患難期を指し、七年の奉仕は「真実」を得るための後半の七年を指す。結局、この物語における婚宴の「七日」と「真実のための七年」は、いずれも同一の「七年の患難期」の予表である。イスラエル(ヤコブ)は、自分の目に麗しく映るメシアを立てるために七年励み、その結果、偽物を得ることになるが、真のメシア(イエス様)の救いに与るためには、その後の七年の患難を通らねばならない。

また、聖書は「人を外見で受け取ってはならない」と語るが、ここでいう「外見」とは権力・地位・所有などで人を判断することを指す。イスラエルは、へりくだった姿で来られたイエスを拒み、ローマを打ち滅ぼして栄光の王国を回復する堂々たる政治・軍事的王を望み、その望みを今に至るまで抱いてきた。その結果、まもなく偽メシア=反キリストを迎えるだろう。これは、外見をとって自分で配偶者を選んだ末に偽物を押し付けられたヤコブの姿に酷似してはいないか。

偽と真が与えられる順序という予表の面では、レアが偽メシアに相当する。他方、ヤコブの肉的な目の欲に基づく願望を照らす予表の面では、ラケルが偽メシア、レアが真のメシアとなる。これは、ヤコブがラケルを愛したにもかかわらず、主が「レアが嫌われているのを見て」(ヨハ15:25)その胎を開かれ、レアは多産し、ラケルにはしばらく子が与えられなかった構図に表れている(創29:31)。 

ヤコブは目に美しく見えたという理由でラケルを選び、イスラエル(国家/民族)もまた、権力・地位・所有といった外面的な栄光を追い求めた。こうした外見に惹かれてなされる選択はすべて「目の欲」であり、その行き着く先は「淫婦」の道である。

参考:
Bible Verses about Israel as Harlot
Could JERUSALEM be Mystery Babylon the Great?

 

もう一つの「二重の7年」構造

「しかし、もし彼があなたの言うことを聞かないなら、なお二人または三人の証人を一緒に連れて行って、すべての言葉が二、三人の証人の口によって確証されるようにせよ。」(マタ18:16)

ヤコブの「7年+7年」に気づけば、すぐに別の物語が思い起こされる。すなわち、7年の豊作とそれに続く7年の飢饉――パロの夢とヨセフの物語である。

兄弟の中で序列の低い者として父の寵愛を受け、兄弟に憎まれて銀貨で売られたが、それでも異邦で受け入れられて支配者となり、異邦の花嫁を得たヨセフが、イエス・キリストの型であることは周知だろう。ヨセフが治めたエジプトと全地を襲った「後半の7年の飢饉」に何が起こったかを見よう。

兄弟たちは飢饉で飢え、食糧を求めてヨセフのもとへ来る。
ヨセフは彼らを厳しく試す。
彼らは、ヨセフの件で罪を犯したゆえに自分たちが試されているのだと悟る(創42:21)。
ヨセフは兄弟たちに自分の正体を明かし、口づけして救う。
兄弟たちはついに彼を認め、再会は、彼らがヨセフにひれ伏すという夢の成就であり(
創37:6-11)、これは、かつて銀貨で売り十字架につけたイエスこそが自らのメシアであったことをイスラエルが悟り、最終的に救われるという、「ヤコブの苦難の日」にあたる大患難の叙述と完全に一致している。

「わたしはダビデの家とエルサレムの住民の上に、恵みと祈りの霊を注ぐ。彼らは、わたし――彼らが突き刺した者を仰ぎ見、ひとり子を喪った者のように嘆き、初子のために激しく嘆くように、彼のために激しく嘆く。」(ゼカ12:10)

ヨセフの物語という、7年+7年の構造をもつもう一つの預言的叙事から、イスラエルが患難を通ってイエスを見出す7年の大患難が「後半の7年の飢饉」に相当することがわかれば、ヤコブの「7年+7年」のどちらが真の「ヤコブの苦難」なのかはいっそう明白になる。

 

「偽の7年患難」――迷いの罠

創世記の預言的事件から、終末が「7年+7年」に分かれる骨格が見えた。では前半の7年には何が起こるのか。

それは、偽メシア=反キリストを受け入れさせるために、イスラエルと全世界を条件づける準備期間である。イスラエルのみならず世界全体が苛烈な苦難に直面する。しかし、それは聖書のいう「主の日」、すなわち7年の大患難ではない

このような時代に「メシアが来た、救い主が来た、拝め」と言えば、狂人扱いされるのが関の山だろう。世界大恐慌や第二次世界大戦のような大動乱ですら、「世界の平和をもたらすメシアが登場する」と告げられても、多くは一笑に付したはずだ。

言い換えれば、反キリストが民族の救済者、世界の救世主として認められるには、民族滅亡、全人類絶滅の危機が文字通り実感されるほどの苛烈な条件づけが不可欠なのだ。未曾有の世界経済の崩壊と核戦争はもちろん、路上に餓死者が溢れるほどの飢饉、疫病、地震・津波など(多くは人為的)――偽りの受け入れのための過酷な条件づけが進み、イスラエルもそれ以上の国家的危機に陥る。

イランや中国の参戦、世界的な「ユダヤ陰謀」暴露による反ユダヤ主義の人為的拡散などで、イスラエル民族は危機に瀕する。やがて偽メシアが現れ、世界各地のユダヤ人をイスラエルへ結集させる。これはイスラエルにメシアとして認められるための必須条件の一つであり、その預言の偽成就が演出される(イザ11:12 など)。

イランのイスラエル攻撃は、実はコロナ禍と同時期に起こす計画が以前からあったが、何らかの理由でコロナだけが先行し、イランの攻撃は今年(2025年)になって始まった。当時は局地的核戦争に拡大するシナリオも想定されていた――City of London 関係者のリーク “Anglo-Saxon Mission” by Bill Ryan。 

この前半の7年が、「偽の7年患難」となる。

聖書の句を都合よく当てはめ、真の大患難の前に作られた危機の7年を、聖書の7年大患難だと人々に刷り込むことに成功すれば、その「偽の7年」の後に、イスラエルと世界に平和と驚異の新技術を携えて現れる反キリストを、聖書の7年大患難の「終わり」に到来する再臨のイエス、イスラエルのメシアだと納得させられる。こうして、真の7年大患難の開始を、メシア統治の千年王国の開始と偽って売り込むことができるのだ。

大いなる惑わしには相応の仕掛けが必要で、サタンにはそれを為す力があり、手先たちは準備を重ねてきた。それほどのシナリオなら、「できれば選ばれた者さえ迷わせる」装置となるだろう。先に、ヤコブの77歳時点を大患難の始まりとする軽率な予測の危険に触れた。まさにこの意味で、聖書的確証のない単純で性急な予測や表層的モデルの拡散には、大きな危険が潜むのである。

真の7年大患難の前にある「偽の患難7年」の時期は、パロの夢になぞらえれば「豊作の時」である。苛烈な時代が「豊作」とは何事かと思うかもしれないが、それは魂の収穫の豊作である。この時期が豊作になる理由の一つを、『エノク書』に垣間見ることができる(後述)。


Rapture Gap(携挙と大患難の間の空白)

多くの人の心に根づいた先入観がある。携挙が起これば、直ちに7年の大患難が始まる――多くの「携挙専門家」もそう教える。


これは、単純化した図式思考を繰り返すうち自然に形成された先入観だと思われる。しかし、携挙が起これば即日あるいは翌日に7年大患難が始まると、聖書が保証している箇所は一つもない。前患難携挙とは、まず「去って行く者」(多くが「離反」と解する)があり、その後に反キリスト=不法の人が現れるという「順序」の教えである(Ⅱテサ2)。極論すれば、純粋に聖書だけを見るなら、テサロニケの手紙が書かれた初代教会の時代に携挙が起きてもおかしくなかった。初代の聖徒でさえ、その日のうちに携え上げられて主に会えるという姿勢で生きた――これが「切迫性(imminency)」の精髄であり、非聖書的でも誤った期待でもない。

さらに、不法の秘義がどのように進み、この世に定着していくのかを現実的に考えたことのある人なら、「今日携挙・明日大患難」のような即時の体制転換はほぼ不可能だと理解できる。

典型例を挙げよう。「全人類」に強制される獣の刻印のシステムを作るには、理論的研究と数多くの工学的発展が要り、各段階で莫大な資本投資が必要になる。技術的・社会的・市場的な試験導入が「グローバル」に反復され、Starlink のような地球規模のインフラが整わねばならない。電信・計算機・暗号の発明から始まり、移動通信、通信と計算の融合、ネットワーク化・ブロックチェーン化へ進んだ技術は、行政、ビジネス、商取引、ID、物流等すべてに浸透しなければならない。それぞれの段階において、政府投資(DARPA 等の軍事・情報資金)、民間投資、失敗と試行錯誤、補修――この約一世紀の歩みを振り返ってみよ。

「右手か額に刻印を受けない者は『だれも』売買できない」と聖書は簡潔に預言するが、その簡潔な預言を成就させるには、長期にわたる超巨大プロジェクトが要る。サタンが反キリストの王国体制を築き、偽メシアをイスラエルと全人類に提示するには、技術のみならず、政治・法・心理・文化から時代的イデオロギーに至るまで、段階的条件づけの作業が絡み合う。たとえ「異星テクノロジー」の劇的公開で世界のパラダイムが覆される事態を想定しても、数年は要する。

このような現実を踏まえるなら、携挙直後に反キリストが現れて和平を結び、救世主として認められ、ただちに7年大患難が始まるという考えは、かえって非現実的だとわかる。


 終末論に洞察の深い Chuck Missler のような権威者は、より精緻な現実的チャートを提示しており、携挙と7年大患難の間に時間的ギャップがあるとする見解を “rapture gap theory” と呼ぶ。


参考:
Is There a Rapture Gap? | J.B. Hixson
The Rapture Gap Preview | Bill Salus


鉄と土の世界:ノアの時代 2.0

ダニエル書には、終末の世界像に関する重要な手がかりがある。すなわち、人類史とその滅び、そしてメシア統治の千年王国の大枠を示すネブカドネツァルの夢である。王が見た像の足は十王が出る終末に当たり、ダニエルは神からの啓示により次のように解く。

「王が鉄と土が混じり合うのをご覧になったゆえ、彼らはほかの民族と互いに交わるだろうが、彼らは互いに結びつかない。鉄が土と結び合わないのと同じである。」
「王が鉄と土が混じり合うのをご覧になったゆえ、彼らはほかの人種と互いに交わるだろうが、彼らは互いに結びつかない。鉄が土と結び合わないのと同じである。」
(ダニ2:43)
(以上、韓国語聖書からの翻訳文)

日本語訳や韓国語訳を見ると、鉄と粘土が混じり合うことを、異なる「民族」あるいは「人種」が互いに混合することを意味するものとして説明している場合が多い。NIV をはじめとする英語訳も、概ねそれに沿った意味で訳されている。
しかし、「異なる民族」「異なる人種」と訳されている箇所のアラム語原文は zeraʿ enash(רַעאֵנֶשׁ)であり、これは文字どおり「人の種(seed of men)」を意味する表現である。キング・ジェームズ訳はこの点を踏まえ、「they shall mingle themselves with the seed of men」と、原義に忠実な訳を採用している。
したがって、この句を原文により近い形で訳すなら、次のようになるであろう。

「王が鉄と粘土とが混じり合うのをご覧になったように、彼らは自ら人の種と混じり合おうとするが、互いに結び合うことはない。鉄が粘土と結び合わないのと同じである。。」

十王の時代には、「人の種子」ではない存在が「人の種子」と混ざる――この意味は他の解釈に譲れない。

L. A. Marzulli は携挙について次のように言った。

“We go up, they show up.”(私たちが上げられると、彼らが姿を現す。)

ここでいう「彼ら」とは、外見上エイリアンとして現れる反逆した天使たちを指す。終末における天上の戦いに敗れ、その住処である天から追い落とされる天使たち(黙12:7–9)が人間世界へと下り、大いなる惑わしにおいて重要な役割を果たす、という文脈を含んでいる。

さらに進めると、キリストのからだである教会が不朽のからだに変えられて天に携え上げられるとき、天から地へと投げ落とされた反逆の天使たちの空隙を、聖徒が埋めるという神学に至る。聖徒を「星」に喩えるのは単なる修辞ではなく、より実体的な意味を持つ。

「知恵ある者は大空の輝きのように輝き、多くの人を義に導いた者は星のように永遠に輝く。」(ダニ12:3)

Paul Felter 博士はこの見解をわかりやすく解説している。
Three Eternal Destinies for Mankind
Replacement Saints - What will you be doing in Heavenly Places?

UFO誘拐事例には、エイリアンとの性的関わりや妊娠が観察されるものが多い。ノアの時代のように、堕天使と人間の混成が一挙に顕在化し、衝突交渉・洗脳を経て世界に定着し、世界統一か連合体制を形成するなどして十王の体制を整え、反キリスト支配下の7年期を作り上げていく。これらは一朝一夕では成し得ない。携挙の翌日に7年患難が始まるとか、イスラエルをめぐる小規模な紛争後の和平が即、大患難の開始だとする安易な観念は、ダニエル2章43節の一節だけでも立つ瀬がない。

もちろん、図式化は学びや全体像の把握には有用だが、兆候と準備が目の前の現実として進行している現代にあっては、極めて危険な落とし穴となり得る(前半7年の危機を「70週目」と思い込ませ、7年の大患難を千年王国へ、反キリストを再臨のイエスへとすり替えるシナリオ)。

終末の世は、意図的に埋もれさせられて忘却された洪水前世界――天上の存在がヘルモン山に降り、人の娘らをめとり、怪異な巨人と雑種を生み出した時代(ルカ17:26)――の再現となる。広い聖書理解と歴史の文脈なしに、「世俗の常識」に合わせて言葉を変え、終末は民族や人種が交じり合う時代だ、などと解釈を曲げても、携挙が起こり、その説明のためにUFOとエイリアンが前面に出れば、超自然が「常識」となる恐るべき時代を目の当たりにすることになる。

世の常識に合わせて御言葉本来の意味を損なってしまうこの種の解釈や翻訳は、ノアの時代に関する創世記第6章の御言葉においても同様になされている(参照:「神の子ら、人の娘たち」)。これは、マタイによる福音書24章37節の御言葉にあるように、しばしば並べて語られるノアの時代と終わりの時とを聖書的に展望する上で、大きな罠が仕掛けられているのに等しいと言える。

ダニエル書は、「人の種子」ではない存在が「人の種子」と混ざる終末を預言し、この明白なメッセージは一切の妥協を許さない。同時にこれは、携挙と最後の「七十週目」の間に時間的な間隙があることを示唆する強い手掛かりでもある。神の預言は百分の百成就する。たとえ信じがたくとも、「人類と非人類が融合する世界」は必ず実現し、その定着過程には少なくとも数年を要する。携挙後の「7年+7年」は、このシナリオにも適合する答えを与える。

 

携挙のもう一つの目的?――豊年への導き

『エノク書』は序文で、本書の目的が終末世代のためであることを確定する。

「エノクの祝福の記録――これは、すべての悪者と不信の者が滅ぼされる患難の日を生きる、選ばれた者と義人たちの幸いのためのものである。」(エノク書1章)

さらに次を見よう。

1 その日、聖なる者と選ばれた者に変化が起こり、
光が彼らの上に留まり、栄光と誉れが聖なる者に帰る。
2 罪人への患難の日が近づくと、悪は群がり、罪人に立ち向かう。
義人たちは万軍の主の御名によって勝利する。
主は、彼らがそれを目撃して悔い改め、手を止めるようにされる。
3 彼ら(罪人)は万軍の主の前で栄光を得ないが、その御名によって救いを得はする。万軍の主は彼らに憐れみを施される。その憐れみは大いなるがゆえである。
――エノク書50章

これは何の出来事、どの時期の描写に見えるだろうか。聖徒が主と同じく変えられ、万人の目前で携え上げられる。そして残された多くがそれを目撃して、聖書が真実だったと悟り、悔い改めへと向かう――これこそ、パロの夢における前半7年の「豊作」が暗示する状況(霊的な収穫)である。

もちろん、『エノク書』にも言及されるように、見ずして信じる信仰によって無代価で義を着せられる恵みの時代における救いの条件と、聖霊とキリストのからだである教会が取り去られるその出来事を自分の目で直接見て信じるようになる時代の救いの条件とは、全く異なるだろう。

 

抑える者

「彼(不法の者)がその時に現れるために、今抑えているものがあることをあなたがたは知っている。不法の秘義はすでに働いているが、今は抑える者がいて、それが取り除かれる時までそうである。」(Ⅱテサ2:6–7)

先にUFO誘拐における性的事例・妊娠に触れたが、なお興味深いケースがある。エイリアンによる誘拐・接触が、イエス・キリストの御名を呼ぶことで中断されたという報告が多数あるのだ。米国の農場に現れたエイリアンに「イエスの名によって去れ」と命じたら、彼らが逃げ出し、互いに転げ回って大騒ぎになった――という類の証言まである。

以下は Gary Bates へのインタビューの要旨。

Bates:つまりさ、“宇宙人”が僕らのとこに来てて、僕らは彼らの創った存在だ——って思ってるわけだよね。…でもね、スコット、ここが本当に大事なんだ。僕の知る限りで、協力者と突き合わせた400件以上のケース、イエス・キリストの名を呼んだ瞬間に、この誘拐が止まってるんだ。 
Bates:体験者をバカにしたいわけじゃないよ。ただ、「アルミホイルの帽子をかぶれば来ない」とか、そういう話じゃない。僕たちの映画にも証言が出てくるけど、彼らは恐怖で震えてた。その極限の瞬間に、子どもの頃の記憶にあるイエスを思い出して、あるいは名を呼んだ。その瞬間、止まった。 

Interviewer:じゃあ、なんで“宇宙人”はイエスに反応するの? 

Bates:そこなんだよ。現象の本質が霊的だってことを示してる。証拠も霊的なんだ。誘拐の場面では、人は偽りのメッセージを受け取ってる。でもイエスの名で止まる——これは圧倒的に強い。今では何百件も証言がある。名前は出せないけど、UFO調査の上のポジションにいる人たちにも、これをはっきり認めてる人がいる。ただ、立場上、公には言えない。だから、ある意味いちばん隠されてきた秘密の一つなんだ。 
Bates:一緒にやってきた同僚の一人は、これを知った当時はまだクリスチャンじゃなかった。そいつが言ったんだ——
「“宇宙人”って、イエスの何がそんなにイヤなんだ?」って。
それでMUFONの仲間に電話してさ、「たぶん何か見つけた。誘拐の最中に祈ったり、詩篇や賛美歌を口にしたら、止まったって証言がある。なんで彼らはイエスが嫌いなんだ?」って。
そしたら、MUFONの連中はもう知ってたんだよ。返事はシンプル——
「へえ、“宇宙人”はイエスが嫌い。で?」ってね。

Interviewer:つまり、MUFONの非キリスト者たちってことだよね。MUFONって何? 

Bates:MUFON = Mutual UFO Network(ミューフォン)。アメリカにある世界最大のUFO調査団体。世界中に何千人もの協力者がいる。 

Interviewer:非キリスト教の団体なのに、“宇宙人”がイエスの名に反応するのは知ってたんだ。 

Bates:でもキリスト教的世界観がないから、無視されるわけ。だから僕らは答えを持ってるって言うんだ。見えてる現象に証拠が合ってるし、人々がキリストの名を呼んだっていう個々の証言が裏づける。さっきも言ったけど、もし彼(イエス)がただの神話上の人物だっていうなら、なんで“宇宙人”はその名を恐れるの?

Interviewer:じゃあ、クリスチャンとして聞くけど、彼らって何者? いったい何が起きてるの? 

Bates:うん、もちろん。みんながすぐ分かるとは限らない。聖書には良い天使と堕ちた天使が——… 

Gary Bates のインタビューより

参照:"Alien Abduction" Can be Stopped…

悪霊祓いにおいても、聖霊に満ちたキリスト者が主の権威を帯びて命じると、彼らは屈服せざるを得ない。これらの事例は、現代が「エイリアン」と呼ぶ存在の正体を示すだけでなく、ここから一歩進めると、もう一つの疑問への答えが見えてくる。なぜ彼ら(エイリアン)は、極端な秘密主義で動かざるを得ないのか。なぜ、聖霊と教会が去り、恵みの時代が終わった後でしか、自らを露わにできないのか。

聖霊に満ちたキリスト者が地上にいる現代の世界で、具現化した悪魔がエイリアンとして人間と交わるためUFOとともに着陸したと想像してほしい。彼らが世界同時中継で「我々は高度に進化した宇宙の存在で、人類を滅亡の危機から救い、神的存在へと進化する過程を助けるため来た」と宣言する――(突飛に聞こえるが、これは実際に準備されている台本であり、ただし携挙後に起こる)。

その場で、聖霊に満ちた誰かが「イエスの名によって去れ」と叫び、彼らが退散する――そんな場面が世界各地で生じたらどうなるか。大いなる惑わしは、たちまち瓦解しかねない。

大いなる惑わしは、サタンが無数の魂を地獄へ引きずる復讐劇の最終装置であり、緻密に仕込まれた戦略シナリオだ。そこで正体が一挙に露呈するような事態は絶対に避けねばならない。したがって、サタンの決起において、聖霊と教会が存在する環境それ自体を回避するのは戦略的必然である。この筋立ては、前患難携挙以外の理論では説明がつかない。

一方、聖霊と教会が携え上げられ、その空席を悪魔とその子孫が占める世界で「イエスの名」を口にすれば、どうなるか。預言どおり、首を刎ねられて死へ直行するだろう。そしてそれが、その時代の救いの道となる。その世界は、今や戸口に迫っている。

この時代に無代価の救いが与えられるからと、それを「安っぽい」と退ける者は、恵みが取り去られた世界に残されないために、今何をすべきかを考えるべきだ。すでに私たちは、恵みの時代の終わりに差しかかっている。


ノアの箱舟

以上、ヤコブの婚姻の14年、パロの夢の14年、「重なる二つの7年」の意味を考察した。いずれもイスラエルの預言的未来に関わる出来事であり、この二つだけからは、異邦の時代を閉じる携挙の時期に関する具体的手掛かりは見いだしにくい。

エリヤの携え上げはイスラエルの携挙の型、エノクの携え上げは異邦の携挙の型――という論は、アブラハム以前の人物と事件をイスラエルとは別個の「異邦の事」と見ることから生まれる。預言の対象と時期を拡張・混同することで、種々の混乱や置換神学といった異端が生まれる。いずれにせよ、ノアの箱舟は異邦の携挙の型となり得て、記述には携挙の時期の示唆があるかもしれない。

「ノアは息子たちと妻と嫁たちと一緒に、洪水を避けて箱舟に入った。
清い獣と汚れた獣と鳥と地を這うすべてのものが、神がノアに命じたとおり、つがいになってノアのもとに来て箱舟に入った
七日後、洪水が地を覆った。」(創7:7–10)

とはいえ、これも確信に至る決め手とは言い難い。洪水を「主の日」、すなわち7年の大患難全体と見るなら、その開始点からちょうど7年前に携挙がある、と見るのが妥当だろう。しかし、洪水の開始を7年大患難の起点と見るか、7年のうち本格的な神の怒りの審判が始まる時点と見るか、あるいはイエスが怒りをもって敵を滅ぼし地上再臨される最終局面と見るか――見方はさまざまだ。だが先に述べたように、携挙および携挙の言い訳としてのUFOの大規模出現に続く

「彼らが人の種子と混ざる」連合王国の形成までの、短くはない期間、
公然たる携挙の目撃によって悔い改める人々ゆえに「豊年」となる7年、

これらを踏まえるなら、ダニエルの第70週全体を「洪水の一日」に見立て、その7年前に携挙があると考えるのが、最も妥当ではないかと推測する。 

 

 

 

 

以上の記事は翻訳ツールを使用して翻訳したものであり、誤訳などが含まれている可能性があります。

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